7月に、昨年ボランティア団体「のしろ日本語学習会」が実施した「広島・平和と日本文化の修学旅行」について記事を書きました。http://www.acras.jp/?p=3038この修学旅行を広島で支えてくださっているのが「一般社団法人HOPEプロジェクト」の二口とみゑさんです。
今年は9月に実施され、ジュニアライターによる「戦禍の記憶 若者が継ぐ」という記事が「中国新聞」に載ったのは、10月6日のことでした。そのことで二口さんとメールでおしゃべりをしているうちに、1年前に読んだ「ジュニアライター通信 被爆ピアノ貸し出す」のことを思い出しました。そして、これはぜひ多くの方に知っていただきたいと思い、二口さんにご相談したところ、さっそく写真と「被爆ピアノ紹介」チラシを送ってくださいました。では、2つの記事を通して「〈被爆ピアノ〉によるコンサート」のことをご紹介しましょう。まずは、二口さんによる「被爆ピアノ紹介」です。
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「平和の歌を奏でる被爆ピアノ」
このピアノは、今からおよそ百年前、アメリカのボルドウィン社で作られたものです。
故河本明子さんは1926年、ロサアンゼルスで生まれました。
1932年(昭和7年)明子さんの家族はピアノとともに広島へ帰ってきました。
明子さんは幼少のころから、広島女学院専門学校家政科(現広島女学院大学)の学生時代まで、母シヅ子さんとよくこのピアノを弾いていました。
6歳の頃から記されている日記が今も残されています。昭和19年1月1日の日記には「19歳。人生の3~4分の1来たのだ」とあります。
昭和20年8月6日、学徒動員の作業中、今の合同庁舎あたりで被爆。一瞬にして破壊された市中を歩いて家までたどりつきましたが、翌7日亡くなりました。
「お母さん、赤いトマトが食べたい。」明子さんの最期のことばでした。
人生の3分の1来たところで無念にも終止符が打たれたのでした。ピアノも爆風で無数のガラスが突き刺さり、今もそのまま傷跡が残っています。アメリカで生まれた明子さんとピアノは、あの日世界を変えた原子爆弾でその「命」を奪われたのです。
弾き手を失ったピアノは、ふたを閉められたまま60年間 母シヅ子さんが住んでいた西区三滝町の丘から静かに広島の街を見守り続けてきました。
被爆60周年(2005年)の8月3日、「被爆ピアノ・チャリティーコンサート」が開催されました。シヅ子さんのひ孫に当たる山本黎さんが このピアノを演奏してくれました。
今そのピアノを前にして、私たちは明子さんとピアノの想いを受け継ぎ、再び調べを奏でるとともに、新しい「平和のメッセージ」を子どもたちへ伝えたていきたいと願っています。
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では、次に「ジュニアライター通信」をお届します。ライターの谷口さんは今では高校1年。「将来、記者になるの?」という二口さんの問いに「作家になりたい」と語ったそうです。
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(2013年10月21日 「中国新聞」ジュニアライター谷口信乃さん)
HOPEプロジェクト(広島市佐伯区)は、被爆ピアノを貸し出し、ピアノが被爆した経緯を説明するとともに、実際に参加者にも弾いてもらっています。
毎年8月6日には、原爆ドーム前(中区)でコンサートを開催。多くの人に被爆ピアノの音色を届けようと励んでいます。
ピアノは被爆当時、広島市三滝町(現西区)にあり、爆風で割れたガラスの破片が刺さりました。持ち主の河本明子さんは幟町(現中区)で学徒動員の作業中に被爆。三滝町の自宅まで戻りましたが、翌日亡くなりました。
近所に住んでいた代表理事の二口とみゑさん(64)が2004年、河本さんの家を取り壊す際に譲り受け、平和に向けた活動を始めました。
9月に西区で、東日本大震災で津波に流された木を使った「震災バイオリン」とコラボレーションをした際、「東北にもピアノを持ってきて音色を届けてほしい」という依頼を受けました。「ピアノが古くなっていることを考えると大変だが、もっと多くの人々に被爆ピアノについて伝えるため、何とか実現したい」と話します。
貸し出す際に必要な調律や運搬などの費用は、主催者に出してもらいます。中には、生徒たちが寄付を募ってコンサートを実現させて高校もあります。二口さんは「ピアノももっと音楽を奏でたかったはず。今の平和な世界の中でなら演奏できる。明子さんの思いといっしょに伝え続けていきたい」と語ります。(中3・谷口信乃)
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二口さんの追記:
今年9月20日 東北まで搬送して 被災地の子供たちにもピアノの音色を聞いてもらいたく、子ども夢基金に申請して 助成金を頂けることになっていたのですが、100歳近いピアノには 東北までの道のりは余りに負担が大きいということで助成を取り下げました。
今 ピアノを動かさず、多くの方に広島に来ていただいて この音色を聞いていただけるすべを模索中です。これからも平和への調べを奏で続けてもらいたいと願っています。
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